楽に生きるということ。
最近、ずっと、それが、どういうふうに生きることなのか考えていた。
頑張って生きているのが、私のアイデンティティだったからだろう。
「無理しなくて良いよ」とか、「そんなに頑張らなくていいよ」とか、「もっと楽に生きていいよ」といわれることは、なぜか、自分を否定されているように感じていた。

「努力してきたから、今の自分があるのだ」と、頑張るということを必死に正当化していた。
頑張っている状態の時に、「楽に生きている人」とは、どんな人だと思っていたかというと、「何もしなくていい人」

今、思うと、「何もしなくていい人」が楽に生きている人なのではなく、頑張らないといけない状況で、私は、本当は、「何もしたくなかった」だけなんだと気づく。

じゃあ、楽に生きるとはどういうことなのだろう。
今の時点でおもうことは…

「楽に生きること」=「今できることを今やる生き方をすること。」
それが、結局のところ、私を楽にしてあげる最良の方法。

今やれることを、後回しにすることで、自ら「頑張らなければいけない状況」を創っていた。
それは、「誰よりも努力して頑張ること」が私のアイデンティティだったので、最高にかっこよく頑張る自分となるために、宇宙は、いつだって、私を最高に頑張らせる現実を創ってくれた。いつだって、100%、私の望みが成就していたわけだ。

でも、そろそろ、自分が楽をすることを許してあげよう。
「誰よりも努力して頑張らなくても」私は私なんだ。
だったら、もう、頑張らなければいけない状況を作り出す必要はない。素直に今やれることをただやっていよう。
そしたら、それがまたさらに、次の楽へとつながるだろうから。

まずは、楽に生きることを許すこと。
それが、今、わたしが最初にやれること。

2 Thoughts to “楽に生きるということ”

  1. QLOOK ID: 2331957757
    後回しにして頑張らなければならない状況を創ってた、か….。
    まいきーが、楽に(楽しく)生きられることをわたしも祈ってる。
    わたし、
    もっかい読む。
    何度でも読んでみる。
    さんきゅ。
    “〇”の絵、すごくいいね。
    どこまでも行けそうな青だ。

  2. QLOOK ID: 500999643
    朋加へ
    何回読んだ?笑
    うそ。
    朋加が生きていて、ふっとこの日の記事を思い出したとき。
    それが朋加とこの言葉である最良のタイミング。
    出会えるかな?
    その時は、○の絵のどのあたりで会えるだろうなー。笑

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